都合のいい解釈

 最近のこと。前に「他から思い込まれたら事実はそうだという事なってしまう」、という話をした。これは逆に自分にでも言えることだなあと最近よく思う。自分の気持ちのあり方次第で自分の身の回りにあるものが変わると。

 例えば言われる言葉も全く別に思えてくる。誰かにいやな言葉を言われたとき、「もしかしたら何か他で嫌な事でもあったのかな」とか「体調が悪いのかな」とか思う気持ちがあればいいんだと思う。逆に「自分が一体なにをしたんだろう?」とひたすら考えたり「どうしてそんな言い方するのだ」と反論したりするのは(したくなるけど)、結果から言ってあまり良くないと思う。
 そういう事を単純に言えば、プラス思考。ちょっと飛躍すると思い込みとか、いい意味での勘違いとかって言うやつ。ちょっとした事で、ある色が白とも見えれば灰色に見えたり、黒に見えたりするわけで。

 他の人の考えなんて、追いかけても追いかけても確かめる事の出来ない事なのだから、それが嘘でも真実でも、追いかける苦労も意味が無いと思う。ならばいっそ深く探らず、自分の都合の良いほうに捉えればいいんじゃないかと思えるようになった。人それぞれ表面での振る舞いとは裏腹に決して打ち明けられない本音があって(自分にもある)当然なんだから、それは触れずにいるのがいいんじゃないかなと。

 でも自分自身に対しては常に虚勢をはる。自分でも「無茶な」と思う事をあえて宣言してみたりチャレンジしてみたりする。弱い自分を”騙して”しまって真実に変えていこうという作戦。そうでもしないと、自分を超える事はないと思うから。

 ・・・って、近頃の自分はなんだか調子いいみたい、ワイワイですよ全く。

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